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私の自動車五十年史 第二十四回

2019-03-18

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『私の自動車五十年史』 第二十四回  代表取締役会長 河村益孝

 

 

前にも書いたが、極めて死亡率の高い法定伝染病である日本脳炎は、コガタアカイエカが媒体すると聞く。
普通の蚊とどう違い、どういう経路で、どうした時に発病するのか、被害を受けた割りに聞き流してしまっているのはチョッと惜しい気がする。

発症エリアは常時同じところではなく県下異なる所で散発的であった。

夏の終わり掛けに発生し、毎年新聞で報道されていたが、近年全く聞かなくなった。

当時の社会の衛生状態は、今とは比べようもなく悪く、戦争に負け、それまでの国家予算を戦争につぎ込んでいたため、そうしたインフラは欧米にかなり後れを取っていたと見られる。

当時飲料水は、通常皆、井戸水か山裾の家は川から引き込みそれを使ったので、水道として全家庭に配水されるようになったのは、昭和の終わり頃ではなかったかと思う。

また、下水に至っては大都市より始まり、全戸を網羅出来たのは、つい最近の事でまだ当地においても出来ておらず、昔のままいう所も間々ある。

当時の下水は台所も、風呂の湯も、全て家の水路を使って溝に、溝から川へ、川から琵琶湖へという有様であった。

溝はコンクリート製ではなく 自然石を並べただけで、水の通いも悪く 悪臭がして、アカミズが湧く状態で、ボウフラも多くいた。

また、屎尿にあっては各家庭に備わった便所で用を足すも、全て下に設けた便壷に溜まり、囲いはあれど、夏場はハエが集り蛆虫が湧いた。

したがって食べ物のあるところには何処でも必ずハエが舞い、多い家では無数にハエがいた。

農家では田の耕作に牛を使う為、台所の隅に牛小屋を置き、牛と生活を共にするようなことで、ハエとの関わりは断つことがなかった。

 

(続く)


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