旧ブログを見る

私の自動車五十年史 第二十三回

2019-01-25

カテゴリー:未分類



 

===========================================

 

『私の自動車五十年史』 第二十三回  代表取締役会長 河村益孝

・・・その日は三時に着いた。銭湯の開く時間で中から湯気の香りはするものの人の気配もなく一番風呂に入れると思ったが、既に近くの暇なご隠居が湯舟に浸かって湯をかき混ぜている。

一番風呂はとにかく熱いのが普通。蛇口の水は出しっ放しで、熱い熱いと言いながらかき混ぜている。

横に私も入り一緒にかき混ぜた。蒙々たる湯気の中、腹の突き出たご隠居の持つ真白いタオルと私の持つ黒いタオルが絡まり「あっ」と思う間に手から離れた。

ご隠居が動かす白いタオルに、何か黒く汚れた布が絡まっていることに気づき、いったいそれは何?と盛んに動かしていた手を止め、注目する様子が見て取れた。

慌てて手を伸ばし、絡み合った私のタオルを手繰り寄せた。
ご隠居が黒いタオルと私の顔をじっと見て感心している様子が子供心にも良く解かった。

恥ずかしいという思いが沸き上がり、赤面したことに違いない。が、そこは熱い湯舟の中とてご隠居に解かる筈はなくとも「恥ずかしい」ことをした・・・という思いは未だ消し去ることは出来ない。

 

もうひとつ恥ずかしい思いをしたことを記してみよう。

近所に小さな果樹園があり、垣根代わりに植えられたベリー系の果実がたわわに実っていた。

始終腹を減らし食い物には目の無い小学校四・五年の頃で、いつもは熟した実を断り無しに口に運ぶ処であるが、生憎、近くに持ち主の奥さんが立っておられた。

ご主人は上場企業の偉いさんで、広い敷地に大きな屋敷の、いかにも金持ちの家である。

当方はびわ湖の浜先にぽつんと立つ一軒家の借家住まいの子。熟した実がいつもなくなっているのを知ってか知らずか、定かではないが、垣根代わりのベリーの実などは大事にしている様子ではないと思ったので、思い切って「この実くれませんか?」と尋ねた。

待ってましたとばかり返ってきた答えは「くれくれ言のは乞食の子や!人のもの欲しがるな!」と来た。
この貧乏人の小倅早く帰れ!とばかりの剣幕に恥を通り越して縮み上がった。

このことを死んだ母親が知ったらどう言ったか・・・。
強烈な「三角野郎」(恥かく、義理かく、情けかく)の体験は、私の人格形成に大いに肥やしになったことは言うまでもない。

 

(続く)


内容

コメント一覧

コメントはありません

ページトップへ