私の自動車五十年史 第一回
2016-10-14
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『私の自動車五十年史』 第一回 代表取締役会長 河村益孝
子供が興味を持つのはそれに触れた時で、「おもしろい!」と心が動く時である。
フアーブルは昆虫であったし、エジソンはヤカンの蓋と聞く。
また、周囲の人の影響がそれを目覚めさせることもある。
もともと一回り上の兄が車好きであった。
兄は、まだ走るポンコツ車を見つけて来ては、友人と小遣いを出し合い、仲間で乗り回していた。
時折、自宅へ持ち帰ることがあり乗せてくれる。
ほんの2~3キロ程度でドライブと言えるものではなかったが、ハンドルを握り運転までさせてくれた。
横に乗って見覚えし、乗っておもしろい!と興味が深まり、終わるころには顔が赤くほてって上気していた。
高校一、二年生の頃のことである。無論、無免許であり、今ほど車が走っておらず、のんびりした時代であった。
更に兄は「モーターマガジン」という自動車の雑誌を毎月取り寄せ、購読していた。
カラーグラビアのまだ珍しい時代に、3〜4ページに渡り写る美しいラインの外車は、羨望の的・憧れであった。
国産車は無論、外車に至るまで、本から得た知識で、いかにも乗っていたかのような錯覚に入り込み、
自動車の話になると熱を帯びて、時間が経つのを忘れて夢中で話し込んでいた。
(つづく)
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