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私の自動車五十年史 第十六回

2017-11-15

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『私の自動車五十年史』 第十六回  代表取締役会長 河村益孝

 

住みついた下阪本の借家は、比叡山の元修業僧、正木寛順さんの持ち物で、家の一室は大きな仏間があり、寺の本堂を思わす飾りが施され、一種独特の雰囲気を醸し出していた。

子供心にその部屋の前へ行くのさえ気味悪く感じていた程である。

その正木寛順なる人は比叡山の修行の中の最も過酷な修行と言われる千日回峰行を二度満行された人で、その道にあっては知らぬ人は無いと言われる凄い人であったが、三度目を志した業の途中に倒れて亡くなられた。

戦後唯一人二度の満行を果たされた酒井雄哉大阿闇梨によってその威徳を偲び毎年九月十八日に飯室の本堂で手厚い法要が営まれている。

ちなみに千日回峰行とは一千日余り山中から京都市内までの難コースを巡拝して回る行で、多いときは八十キロ、少ないときでも三十キロ以上の山路を飛ぶように歩く。

更に七百日を達成すると、九日間の堂入りと言う荒行があり、九日間お堂にこもって断食・断水・断眠のまま行を続ける。

断食はともかく、飲まず、眠らずは人間の体力をはるかに超えた決死の難行で「堂入り」の前に仮葬式をする。

これは良い行をするための、失敗すれば「死」と覚悟を決める為と聞く。

千日回峰行を達成した行者は信長に比叡山を焼かれてより今日まで、僅かに五十人足らずで、それ程の難行なのだ。

回峰行に出発する行者の懐には一本の縄と小刀が納められていると言う。

もし途中で体力・気力が尽きて途中で投げ出す時は、自分で首を括る為の縄であり、背中に「死」を背負っていると言えよう。

堂入りの九日間、行者は一日の水も、食べ物も摂らず、一睡もせず行に明け暮れる。

常人は五日間も眠らぬと精神に以上を来たすものである。一週間を過ぎると自分の吐く息に 死臭を感じるそうだ。

殆んど生きながら死んでいる状態と言っていいだろう。

千日回峰行者の献立は、塩菊でのジャガイモ二個、豆腐半丁、うどん半血 それを一日二回食べるだけで、千日を過ごすのである。

決まった献立を堂入りの 時期を除いても何年も続けるのである。

 

 

(続く)

 

 


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