旧ブログを見る

私の自動車五十年史 第十八回

2018-01-16

カテゴリー:未分類

===========================================

『私の自動車五十年史』 第十八回  代表取締役会長 河村益孝

 

昭和二十四年、母の死後の父の生活ぶりは、「男寡に蛆が湧く」の例えではないが、困窮の極みだった・・・と思える。
幼かったが為、母から父の暮らしぶりを聞いたことはないが、実兄(長男)や親戚から聞いた話によると、遠い祖先は浅井長政の家臣であったと聞く。
家臣もいろいろ、どのくらいのどの位置にあったのかは定かでなくとも、戦国の武将の下で勤めていた・・ と聞くだけでも子供心にも何となく心躍る気がした。
父には両親と兄二人と姉がいたが、当時日本中に流行したスペイン風邪が元で皆亡くなり、天涯孤独の身となった。
それが何時で何才であったのかは聞いておらず、近所に従兄、従姉が居て長らく世話になったらしい。
又、 仕事は大阪の大手の薬問屋が遠縁にあたる関係でそこに勤めていた。
が、 終戦前の大阪大空襲ですべて焼失し、会社は解散となった。
薬問屋での仕事は、西日本一帯の営業で、見本を持ち、各県の大型薬局への卸売りで一度出張に出ると十日、二十日と長期となった。
両親をはじめ、可愛がってもらった肉親を皆亡くし、近所に住む親戚は居るものの、自らを守り、寂しい自分の気をなぐさめるものは「お金」と、ともかく真面目に働き、当時の社長にも認められた。
何を於いても金を持つ(金持ちとなる)ことが全てを満たし全てを潤すと、日頃から耳にタコが出来るほど社長から聞かされ、刺激となり、それが日頃の生活にも現われた。

(続く)

 

 

 


内容

コメント一覧

コメントはありません

ページトップへ