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私の自動車五十年史 第七回

2017-02-02

カテゴリー:未分類



『私の自動車五十年史』   第七回      代表取締役会長 河村益孝                 

 

誰もが根を上げる、きつく汚く汗まみれの仕事(今の3K)を何故選んだかは
 
先にも書いた、昼食の素晴らしさと賃金が良いとの欲の絡みからである。
 
小学校時代には虚弱体質で、よく熱を出して学校を休んだ。
 
この中には、学校がおもしろくなくて仮病を使って休むことも度々あった。
 
中学校三年間は、休むことなく出席した。それは学校が楽しかったからだ。
 
話は少し逸れたが、小柄で弱弱しい体つきの私に

土木建設業の社長は、「土方の仕事はきついぞー、ついて来れるか?」と

如何にも途中で根を上げると言わんばかりの言葉を吐いた。
 
一日目、二日目と本当にきつかった。

果たして最後まで続くかと当初自信もなく辛かった。

が、とにかく今日一日頑張ろうと決意を心に抱いて臨んだ。
 
一週間が過ぎ、二週間が過ぎると体が慣れて来るのか、

苦しさの闘値が徐々に下がり始め、結局最後まで勤め上げたのである。
 
私の出勤振り、働き振りを見ていた社長は、

「当初はいつ辞める?いつ辞める? と思っていたが、良く続いたなぁ」と褒めてくれた。
 
そして、「次の休みもまた来てくれ」と言ってくれた。
 
この頃、同級生の友人が剣道部に入り、

体力づくりにとバーベル代わりに荷車の車輪を我が家に持ち込んだ。
 
また庭の松の木に吊り輪を作り、二人して筋トレをした。
 
腕立て伏せは百回、吊り輪での懸垂は五十回は軽く、

毎日続けるうちに体の形が変わり始め、力仕事が楽しくなり始めた。
 
体の弱い、虚弱体質の子供がかくて、

丈夫で筋骨たくましい体に変身することが出来たのは、アルバイトの土方仕事のお陰である。

 

(つづく)


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