私の自動車五十年史 第十回
2017-04-15
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『私の自動車五十年史』 第十回 代表取締役会長 河村益孝
大阪の我が家がBー28の爆撃を受けて消失してしまったことは先に書いた。
昭和二十年八月十五日、ポツダム宣言受諾により、敗戦となり、今後日本がどうなるのか全く解らないまま、僅かな光を夢に託し、取り敢えずの生活も厳しい環境の中、全ての国民は立ち上がった。
父は四十四才、母は三十七才、子供三人と所帯盛り。食料品が自由販売とならず、政府の統制管理の中で、生活は困窮の極みにあって、下阪本の借家が戦後踏み出しの第一歩となった。
一家の主である父は常に質素険約に努め、万が一に備え貯蓄を怠らず、そこそこの預金もあった。
が、戦後処理による国家統制の下、預金封鎖・財閥解体・小作開放政策等で、父にとっては長年節約を重ねて大事にしてき虎の子が一夜にして百分の一の価値に激減・・・この敗戦で国民全てが大きな犠牲を強いられ、重い苦しみを味わった。
有り難いことに、我が家・親戚一同、誰一人として戦死者・負傷者がなかったのは 不幸中の幸いであり、全ては生きていてこそ始まる第一歩ではある。
敗戦後の日本を復興し、六十年後の只今、第一級の経済国家として仕上げたのは、戦前戦後を通して、厳しい難関を支え乗り越えて来られた先人達の努力のお陰が有ったからこそに他ならない。
このことは幼少時より日々に味わった大きな体験として記すものである。
(続く)
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